ゴッホ展を見てきた。下草や植物に救われるゴッホに憚りながら共感。

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東京都美術館でやっているゴッホ展を見てきました。

ゴッホっていうと「ひまわり」とか「自画像」とか「アルルの女」が有名ですが、僕は中学生の頃に美術の教科書で見た「糸杉と星の見える道」が強く印象に残っていて、風景画のほうが好きです。

ゴッホ 糸杉と星の見える道
糸杉と星の見える道

 
ゴッホその人のことは断片的なエピソードしか知らず、自ら耳を切り落としたこと、拳銃自殺で生涯を閉じたこと、「アルルの黄色い家」というワードを知るのみ。
 
つまりほとんどなにも知らないまま見に行ったのだけど、2時間の滞在で勝手に「わかる、超わかる」ってゴッホに共感しちゃって帰ってきました。
 
 
 

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人生でなにか成し遂げたいことへの焦り

ゴッホ初期の絵はひたすらな模倣と、自分なりの画法の模索。
重い色調も多く、先の見えない人生に焦り、嘆き、ただただ手を動かすことが救い、という印象を受けるのめり込みようと重い色。
俺にはもうこれしかねぇ、みたいな不退転の覚悟を感じました。
 
後で調べたら10代後半から画廊勤め、その後に神学者・聖職者への道を志すも道を断たれ、絵を本格的に初めたのは20代後半から。
すごい焦燥感に苛まれていたことだろう、きっと。
 
実はゴッホは他で食っていく手段とそれなりに認められる地位を得られればそれでよくて、ものすごい出世欲はなく、半隠居みたいな生活をしたかったんじゃあるまいか。そうしたら絵は趣味か、なんなら観るほう専門だったかもしれない。
でも勤めが向かなかったり商売っ気が無くて、他で食っていく算段がつかなくて、それで多少覚えのあって好きなこと=絵で食って行こうとしたんじゃないかな…なんてことを思った。
 
 
 

暖かいとこに行きたくてアルルに向かい、元気になった

南仏のアルルに”日本(=ゴッホにとっての理想郷)”を求めていたのだという説明がありましたが、これたぶん、暖かいところに行きたかったんじゃないかな・・・。
 
地図を見るとアルルはそれまでいたパリやハーグよりは遥かに南。っていうか、狙ったかのようにフランス南部ど真ん中。狙ったんだろう。
パリ暮らしでなかなか芽が出ず暮らしに困窮し、疲れた心と重い体を引きずって、失意のうちに”日本(=理想郷)”を目指したんでしょう。
 
彼の頭の中の”日本”は暖かくて植生豊かで色がくっきりしているところってなっていて、
そうしてたどり着いたアルルで、陽光と植物の可憐さや生命力に救われ、思わず日本と重ねたんだろう、と。
 
 
人間と違う時間軸で生きている植物って、眺めてる間はいろいろ忘れさせてくれるんだよな…
疲れている時に限って、そのふとした姿が美しく見える。
麦畑とか、アイリスの群生とか、生き生きとしたオリーブの木とかを見て、ずいぶん気持ち的に助かったんじゃないかな。
 
色使いもパーっと明るくなって、毎日たーのしーって素直に思ってる感ある。
ゴッホこの時期の静物画なんか、背景がめっちゃ明るい。
windowsのペイントで最初にみんな使いがちなシアンまんまの色の背景とか。
 
ただそれも、自分のこの先への不安とか焦燥感なんかの暗い気持ちを明るい色で覆い隠しているような印象はあり。これは受け手の僕が今そんな状況だからだろうか…
でもなんとなく、重ね塗りされた明るい色の隙間から、そういうねっとりした暗さが滲み出てきそうに思えた。
 
 
ゴーギャンとの共同生活を望んでいたのもつまりそうなんだろう。
心細くて一人じゃ筆を折りそうで、一緒に歩んでくれる誰かが欲しかったんだろう。
 
 
 

下しか向けなくて、下草が救い。絵は木漏れ日。

心の頼みにしていたゴーギャンとの共同生活は3ヶ月で破局、耳を切り落としたゴッホはサナトリウムで療養することに、というエピソードは知っていました。
 
後々調べたら性格が不一致にもほどがある感じで、個人的な印象ですがゴーギャンはバリバリ野心家で自己顕示欲MAXの俺様系、ゴッホはひと旗あげたいけどあんまりゴリゴリいけるタイプではない。身内には強く出る内弁慶だけど。
 
 
その時期の絵で、展覧会中で一番気に入った、というか刺さった絵はこれでした。

フィンセント・ファン・ゴッホ キヅタのある下生え

 
もう、水平に視線をあげる気力もないの。
ほとんどの絵は画面2/3以上を地面が占める構図でした。
 
サナトリウムの窓から見た風景かな。
目に入るのは下草ばかりだけど、その繊細さ可憐さと、同時に存在する力強さに気付き、心を支えられたのだろう。
画面右上の陽のあたる世界ははるか遠く、いまは人生の日陰。その中にポツリポツリと射す光、木漏れ日がたぶんゴッホにとっての「絵を描くこと」だったんじゃないかなぁ。
そんなことを思わせる絵でした。
 
 
もう一つ、木立の中に男女が二人歩いている絵もあったけど、それも同じ感じで。
遠景の木々の向こうはかつての明るい背景ではなく黒に近い色。男女が歩くところは明るいけど輪郭もボヤーッとしていて。眩しくて見てらんねーよって感じでしょうか。
反面、森の中の下草はものすごく丹念に多くの色を塗り重ねて描写されていました。
 
 
なんだかすごくいろいろ受け取った展覧会で、落とし込むのに時間かかりました。濃い時間だった。
妻子がいる身としては真似できないゴッホの生き方ですが、なんだか油絵を描いてみたくなりました。
下草描きたい。
 
 
 

生計の立て方は参考にならなかった。

これだけの創作を行ったゴッホを尊敬する一方で心情的には勝手に「わかるわかる」って思いながら見てたのですが、
今の自分が「今後どうやって食って行こうかな」っていう段階なのもあって、生き様とかよりもリアルなところが気になりました。
 
つまりあれだけ絵に没頭しつついったいどうやって生計を立てていたのかっていう。
評価されたのは死後という話は聞いていたので、パトロンがいたわけでもないのでしょう。
 
 
家に帰ってからゴッホの来歴を一通り読みました。
 
そして、絵を志してからの生計はほぼ、画廊に務める弟のテオの仕送りだったと知りました。
描いた絵を送るから、それを仕事とみなしてお金くれと。
すごい強気な営業でちょっと真似できん。